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アドラー心理学における「劣等」について⑤

皆さん、こんにちは。

今回はこの章のまとめをお伝えしていきたいと思います。

 

復習になりますが、アドラー心理学における劣等に関する定義は3つ存在します。その3つとは、①劣等性、②劣等感、③劣等コンプレックスであり、③の劣等感を病的なほど抱いている人、つまり劣等感コンプレックスを持っている人がアドラー心理学における治療の対象です。

そして、劣等コンプレックスを抱いている人は独自の見方によって(認知論)形成された私的理論において、ベイシック・ミステイク(基本的な誤り)をしてしまっている状態であり、そのベイシック・ミステイクから抜け出すために常に自分を客観的に見る意識を持つことが重要であるということをお伝えしました。

 

少し、複雑な表現をしましたが、結論として何が言いたいのかというと、物事をとらえる時はある程度、楽観的である必要があるということです。

 

ベイシック・ミステイクから抜け出す方法に、自分を客観視することが重要であるという表現をしましたが、もっと簡単な言い方をすると「あなたが思っているほどその問題は重大ではないですよ」といったことを感じてほしいからだと私は思います。

 

話は変わりますが、人によって才能があり、自分がやりたいことやなりたいものに関して、自分より才能があり、輝いて見える人がいることがあります。例えば、プロ野球選手になりたいけど、全てにおいて自分よりも野球が上手いと感じる人がいて、その人ばかりが注目されるなどが挙げられます。

 

こういった場合、その人はかなりの劣等感を感じるでしょう。そして、自分はプロにはなれないと感じるかもしれません。

 

しかし、少し視点を変えてみると、そもそもなぜプロになりたかったのかについて考えてみると、例えば純粋に野球が好きだったからという理由だとすると、いくら自分よりも野球が上手である人がいたとしても、野球が出来なくなることはありえないのではないでしょうか?

 

人は時が経つごとに目標が少なからず変化していき、時には自分の元々の想いを見失ってしまうことがあります。上の例の場合、野球をやり続けたいという想いからプロの選手になりたいという想いになって、最終的にプロになれなかったら野球を続けられないといった思い込みなどのベイシック・ミステイクに発展することになるのでしょう。

 

これは野球以外のどんなことにも起こり得ることであり、誰にでも起こり得ることです。しかし、他の人が関与しない自分だけの想いに目を向けることを忘れなければ、環境や対人関係などがどうであれ、実現の為の手段はいくらでもあり、自分の想いを達成することは可能だと私は思います。

 

つまり、自分の気持ちは自分で決めるものであり、言い換えれば自分の思うままなので、自分が満足することが困難になることは絶対ないのではないでしょうか?

 

以上で、この章を終わりたいと思います。