休憩時間 一筋のけむり

煙というものは、とても不安定です。
風が吹けば風の吹く方に靡き、
風が吹かなくてもゆらゆらと揺らめきながら灰を残します。
煙はまるでこころのようだと私は思います。
時代という風に吹かれたらその風の吹く方に靡き、
何も変わらないとゆらゆらと揺らめき不安を残します。
それでもスッと一筋のけむりが立ち昇ることが出来た時、
誰にも煙たがられることなく、
上に上に昇っていくことが出来るのではないでしょうか?

 

何だかモヤモヤとして不機嫌な時、その不機嫌な気持ちを愚痴に変えて周りの人にぶちまけてしまう時はありませんでしょうか?

私自身、何か嫌なことがあると、今でも愚痴をこぼしてしまうことがあります。

 

 愚痴をこぼした後は、とても気分がすっきりします。それでも、愚痴をこぼすだけではそのモヤモヤとした気持ちというのは無くならないと感じます。まるで、灰のようにこころの中に少しずつ、そのモヤモヤした気持ちを募らせていくのではないでしょうか?

 

つまり、そのモヤモヤとした気持ちはこころを燃やし、燻らせているのだと私は感じます。そして、自分が燻っていることに気づかず、まるで煙のようにモヤモヤとした気持ちを周りに振り撒いてしまっているのだと思います。

 

大切なのは、自分が心を燻らせていることを自覚すること。そして、どんな煙を立たせてしまっているのかを知ることだと思います。最初は、ゆらゆらとしてとても不安定かもしれません。それでも、一本筋を通すことが出来たのなら、迷うことなく真っ直ぐ前を向いて歩いていくことが出来るのだと私は思います。

f:id:discover-knowledge5:20160906192722j:plain