アドラー心理学とフロイト心理学③

皆さん、こんにちは。

今回は、アドラー心理学フロイト心理学を比較することで見えてくるものは何なのかについて考えていきたいと思います。

 

以前の記事(アドラー心理学の基礎学習~基本的な理論①~ - 自己開拓レポート)と前回の内容から、アドラー心理学は人の「目的」に注目していたこと、フロイト心理学は感情の「原因」に注目していたことが分かると思います。今でこそ、アドラー心理学の重要性が世の中に浸透してきていますが、ほんの少し前までは、心理学の考え方の中心はフロイトでした。

 

その理由として、アドラーがユダヤ人であったことから、アドラー心理学の後継者たちの多くがナチス強制収容所で死亡したこともありますが、心理学は科学であり、科学は原因を究明することこそが本分であるといった考え方が蔓延していたことも理由にあるように思います。

 

つまり、精神病のようなこころの問題は「病」として認識され、こころの問題を抱えているその「人」ではなく、「病」に心理学者たちは注目していたと私は思います。なのでフロイトの「原因論」が有用なアプローチ方法であったと思います。

 

しかし、「病」と呼ばれるまで精神を病んでしまう人たちだけではなく、健常者とされる人々の多くは何らかのこころの問題を抱えているのではないでしょうか?なので、そういった人たちへの有効なアプローチがアドラー心理学の「目的論」であると思います。

 

結局のところ何が言いたいのかというと、フロイトの「原因論」が精神病を一種の「病気」であることを明らかにし、病気である人とそうではない人の存在を人々に認識させたことがフロイトの成果なのだと思います。そして、アドラーは「病気」と認識されなかった人たちに手を差し伸べ、自分と気持ちと向き合う機会を与えたのだと思います。

 

つまり、両方の考えがあったからこそ今の心理学や人の心の向き合い方の考え方があるのだと思います。

 

次回は、アドラー心理学フロイト心理学から私たちが学べることについてお伝えしていきたいと思います。